日本経済新聞の短期連載記事です。「保育所急増の死角(上) 待機児童なお1万人 切り札の「小規模」不発」の続きです。「保育所急増の死角」として、今回は保育士不足・保育の質の低下とその原因について取り上げています。
保育所急増の死角(中)人手不足、質低下招く 低賃金が壁、求人倍率5倍
2015/10/7付「10月から休園すると3日前に通知された」。東京都江東区の認証保育所に息子(4)を通わせる男性(39)は頭を抱える。運営会社の経営者が昨年末に代わり、大手グループから独立することになった。ところが、新経営陣と対立した職員が相次いで退職。体制を維持できなくなったのだ。
報告を受けた都や区が「子どもの転所先が決まらないと認められない」と指導したため一転、なんとか運営は継続している。だが、20人の定員に対し、最近では通う子どもは3人に減った。「区に転所希望を出しているがどこもいっぱいだ」と男性は困り果てている。
(以下要旨)
・保護者からの苦情を受け、千葉市では多数の公立保育所OBが保育所にて巡回指導を行っている。
・質低下の原因の一つは人手不足。8月の東京都での求人倍率は5倍以上。多くの保育所が保育士確保に困っている。
・背景には低賃金がある。平均月給は約21万円であり、全産業平均を約9万円下回る。
・保育環境の格差も存在する。園庭やプールを備える保育所がある一方、最近はビル内に開設する施設が多い。他施設と連携する場合もある。
保育所が急増して様々な保育の場が生まれている反面、様々な影の側面が生じてしまっています。新聞記事のタイトルは「人手不足」としていますが、それ以外の問題も噴出しています。
私立保育所保育士の低賃金
保育士(公務員を除く)の低賃金問題は随分前から指摘され続けていました。全産業や保育士の給与は平成26年賃金構造基本統計調査(一般労働者・職種)によるものです。また、平成26年度の数字となりますが、保育士民間給与実態調査より大阪市の公立保育所(正規雇用・任期付)・市立保育所(役職別)の給与を比較しています。
【ニュース】任期付き保育士らの昇給を 橋下大阪市長「正規と非正規で差をつけるのはおかしい」 来年2月議会に条例改正案提出へ
公立保育所で働く正規職員たる保育士と任期付き保育士、どれだけ待遇が異なっているのでしょうか。
https://yodokikaku.net/?p=4555
下記の様な結果となりました。
運営者 | 雇用形態や役職 | 平均年齢 | 平均給与月額 |
大阪市(公立) | 正規雇用 | 45.2 | 360,865円 |
任期付 | ? | 188,600円 | |
私立 | 施設長 | 50.3 | 431,366円 |
主任保育士 | 43.8 | 323,917円 | |
保育士 | 30.8 | 219,837円 |
賃金構造基本統計調査には公立保育所で働く保育士は含まれていません。私立保育所で勤務する保育士の給与が、公立保育所で働く保育士や他産業の労働者と比較して著しく低いのは明らかです。
原因は単純です。収入が一定という制度的な問題です。
「さらに制度的な要因もあります。認可保育所の場合、財源は基本的に公的な補助金と、親が払う保育料です。その保育料は公定価格で決まっているので、事業者側が勝手に定めることができません。基本的に、補助金か保育料を上げないと保育士の給料は上がりません」
「また、保育士は長く勤めても昇給しにくいシステムです。日本の保育士資格にはスキルに応じた資格の区分がありません。仮にスキルアップしても保育所に補助金が増えるわけではないため、昇給に結びつきにくい。さらに、株式会社が設立した私立の保育所は、公立にはある退職手当などへの補助がなく、賃金はさらに低くなります」
年齢別の定員・保育士の配置数等が行政の指導等によって定められ、補助金等もそれらを基準として支払われています。保育所の収入が一定であれば、人件費に充当できる金額が自ずから定まってしまいます。補助金以外の収入は微々たる物でしょう。
保育所への補助金を増額しない限り、私立保育所で働く保育士の給与は上がりません。
一般的な産業であれば、サービスへの需要が高まって人手不足が顕在化する場合には、サービス単価の増額によって需要を抑制・売上増を図ると同時により高い待遇で人材の確保を図るでしょう。しかし、保育所経営はそうはいきません。福祉的・教育的観点から各世帯が支払う保育料は実際に必要な費用(保育単価)を下回っており、各保育所がサービス単価(保育料)を自由に定められない状況であっては、保育需要の増大・保育士不足は当然の結論です。
保育環境の格差
全ての園児が充実した保育施設で過ごせるのが理想的ですが、残念ながら現実は異なります。
記事にあるとおり、一般的に社会福祉法人や行政が古くから運営している保育所は自然豊かで広い園庭・低層階の園舎と備えています。しかし、特にここ数年の間に都心部で設立された保育所は屋上園庭を備えたビル型園舎や、オフィスビルの複数フロアを借りたテナント型園舎が多くを占めています。
そして、充実した環境を求めるのが保護者に共通した願いでしょう。同じ地域に複数の保育所がある場合、より充実した環境を有する保育所を高い順位で希望する保護者が多い傾向が見受けられます。
独自の園庭がない保育所や主にテナントとして入居している小規模保育では、近隣の公園を園庭代わりに利用するのが専らです。思う存分に身体を動かせる反面、地域住民や他の保育施設との利用調整が必要となります。また、設置されている遊具等が園児の活動に必ずしも適していない、ホームレスや野犬が住み着いている、自然栽培等の経験ができない等、自園とは異なる制約が及んでしまいます。
他の保育所の施設を借りるケースもあるそうです。が、様々な利害関係や調整が必要となり、残念ながら殆どないでしょう。
とある認証保育所の崩壊
引用した記事の冒頭部分です。社会福祉法人等ではなく、会社が運営する認証保育所での出来事だそうです。「人手不足による保育の質の低下」とされていますが、むしろ「保育所不足による経営者の質の低下」が適当でしょう。
どの様な運営法人であっても経営者の交代は生じますが、大手グループからの独立となると話は違ってきます。大手グループの傘下という安心感で入所したにも関わらず、急激な変化に戸惑った方も少なくないでしょう。保育所運営体制を維持できなくなる程に多くの職員が退職するのは極めて希なケースです。新しい経営者・経営方針・保育方針に見切りをつけて集団退職に踏み切ったのでしょうか。
運営会社は保育士が確保できず、新経営陣は認証保育所を閉鎖しようとしたそうです。あまりに一方的な方針です。呆れて物が言えません。行政が指導しなければ、園児・保護者は待機児童という名の東京砂漠で途方に暮れていたかもしれません。園児が3人しかいない認証保育所では、毎月の赤字額も膨大でしょう。認証保育所を閉鎖して経営を立て直したい意向かもしれません。しかし、こうした認証保育所・運営体制へ導いたのは新経営陣です。
反面、こうした認証保育所を利用していた保護者・園児は災難としか言い様がありません。待機児童問題が深刻な東京湾岸部であれば、こうした騒動が勃発するまでは定員上限の園児が在園していたでしょう。数十人の園児が何とか他の保育所等を見つけ、退所・転所したと推測されます。新しい施設を探すのには膨大な時間・労力を要し、保護者には甚大な精神的・物理的・金銭的負担が生じたでしょう。
職員が反発して大量に退職し、保育所の運営を維持できないという経営能力の不足に根本的な問題があります。が、新たにこうした経営者が就任し、大手グループから独立する際に行政は何らかの指導を行ったのでしょうか。認証保育所を新たに設立する場合には、様々な基準の他、「設置者の要件」(東京都認証保育所事業実施要綱)が求められています。
5 設置者の要件
(1)認証保育所を経営するために必要な、別に定める経済的基盤があること。
(2)本事業を継続的に健全かつ円滑に実行できること。
(3)本事業に関し、不正又は不誠実な行為をするおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者でないこと。
(4)財務内容が適正であること。
(5)認証保育所を新たに設置する場合は、別に定める欠格事由に該当しないこと。
経営者の変更・大手グループ会社からの独立等、大きな経営体制の変化を予定する場合には、新しい事業者による新設に準じて実施要綱・認証基準等に基づく審査を行うべきだったのかもしれません。「認証」という名で保護者に安心を与えている以上、相応の責務を果たすべきでした。
本事業では職員の退職が相次ぎ、認証保育所の運営体制を維持するのが困難な状況に陥っています。「本事業を継続的に健全かつ円滑に実行できる」という要件を欠いています。また、保育環境・児童の安全性・その他児童福祉の観点から様々な問題があるでしょう。園児の新しい保育の場を行政が責任をもって見つけ、認証保育所への認証を取り消すべきです。この様に保護者・児童を不幸に陥れる保育所・運営会社・経営陣が二度と現れない様、徹底した事前審査と監督・指導が求められます。
量も重要だが、あくまで「保育の質」が前提
都心部を中心に保育施設は未だに不足しています。だからといって運営能力が著しく欠ける事業者を参入させるべきではありません。量は重要ですが、あくまで「質の確保」が前提です。事業者の運営能力とはやや異なりますが、大阪市ではラブホテルの目の前に私立保育所が建設されています(詳細はこちら)。保育の質の観点から、疑問を持たざるを得ません。
日経新聞の連載記事は(下)と続きます。明日以降も掲載する予定です。