阪神淡路大震災からちょうど30年が経ちました。当時は震源地から離れた場所に住んでいましたが、自宅の照明がゆっくりと揺れたのを今でも覚えています。

子供達がお世話になっている保育園や小中学校では、火災や地震等に対する避難訓練を定期的に行っています。一昔前の避難訓練と言えば、机に潜った後に校庭等に集合するのが一般的だったと思います。最近は様々な教訓を取り入れた訓練を行っています。

保育園は園庭へ避難した後、近隣のビルへ2次避難を行っています。水害や津波から逃れると共に、防災物資があるビルにて雨露や暑さ等を凌ぎ、保護者が迎えに来るのを待つ計画となっています。

2次避難には苦労している様子です。3-5歳児は自分の足で歩く、0-2歳児は避難車等を利用する計画となっていますが、多くの園児を別の場所へ無事に移動させるのは決して容易ではありません。倒壊したビルや民家が道を塞いでいたら、2次避難先へ到着できないでしょう。

多くの保育所等は水平避難せざるを得ないでしょう。十分な高さがある屋上へ避難できる保育所等は一部に限られています。

ここ数年の間に大阪市内にて新設された保育所等の中には、災害に脆弱だと感じた施設もあります。特に古くて延焼しやすい木造家屋に囲まれ、救急車両が進入できない狭隘な道路しかない、木造住宅密集地域(木密)に保育所等が新設されたのは衝撃的でした。

お世話になっている小中学校では教室の机に身を隠した後、まずは運動場へ避難、その後に校舎屋上へ避難する流れが定着しています。保育所等とは異なり、大半の小中学校の校舎は十分な高さと広さがあります。

一方で児童生徒が数日間に渡って学校に籠もる事態は想定していない様子です。校内に防災用物資はあるそうですが、学校へ避難した住民へ支給する物だと聞きました(本当にそうなのか?)。学校から身動きが取れない児童生徒は食料に困窮する恐れがあります。

小学校では災害発生時の引き渡し訓練も行っています。児童引渡カードを持参した保護者へ児童を引き渡します。果たして発災時にカードを持参するのに気づけるかは疑問に感じています。

反対に中学校では全くありません。発災時に生徒のみで下校させるのか、それとも保護者が迎えに行くのかは全く不明です。発災時に混乱が起こるのは必至です。

保護者がどういった順番で子供達を迎えに行くかはぼんやりと決めています。災害発生直後の街中を小さな子供と長い距離を歩くのは極力避けたいので、年齢が高い子供から順に迎えに行こうかと考えています。

大阪でも阪神淡路大震災と同程度の地震が起こらないとは限りません。南海トラフ巨大地震への警戒が呼びかけられていますが、想定外の直下型地震が発生したら大きな被害が出てしまうでしょう。

ここ数日は子供と何度も震災関係の話をしました。阪神淡路大震災や東日本大震災の記憶がある親と比べ、子供は巨大地震の経験や記憶がありません。興味を示す子もいれば、全く示さない子もいます(個性いろいろ)。

様々な機会等を通じて過去の震災を知り、何らかの形で自分自身の生活や社会へ還元してくれれば、と考えています。いつか大阪にも必ず大地震がやってきます。