NHKの連続テレビ小説「あさが来た」を毎朝(見れない日は録画して後日)見ています。
大筋は原作に乗っ取りながらコメディータッチも多く、肝心の場面は丁寧に話を進めるので落ち着いて見ていられます。
今回はあさの嫁ぎ先、加野屋について取り上げます。

「加野屋」(モデルは加島屋、後に大同生命保険)

加野屋には明確なモデルがあります。大坂の両替商「加島屋」です。江戸初期に精米業者として創業し、堂島米市場の中心的な役割を担い、大坂屈指の両替商に成長しました。

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(土佐堀川・筑前橋?から見た、当時の加島屋)

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赤丸印が加島屋、水運の要所にあります。姉のはつの嫁ぎ先(ドラマでは山王寺屋、原作では天王寺屋)は、地図上で金相場(現在の大阪証券取引所)の右にある「天五」と表記されている地点です。当時の女性の足で歩くと、往復1時間以上は掛かったのでは無いでしょうか。

加島屋の由来

では、「加島屋」という屋号は何に由来しているのでしょうか。
諸説がありますが、有力なのは良銭として有名だった「加島銭」から得たという説です。

大阪市淀川区に「加島」という地区があります。以前は摂津国西成郡加島村(蟹島)と言いました。神崎川による水運の要地であり、平安時代の頃は一大歓楽地でもありました(今は面影が全くありません)。交通の要所であって京・神戸にも近い事から、古くから朝鮮半島から渡ってきた鍛冶職人が住み、スキ・クワ等を製造していたそうです。室町時代には「加島鍛冶千軒」と言われたほどです。

そこで江戸幕府は当地に「加島鋳銭所」(銭座)を設置しました。加島で作られる銭は良質であり、他の祖銭と区別され、「加島銭」として重宝されました。広岡家(ドラマでは白岡家)の先祖は銭貨の交換を為す両替店として相応しいとして、「加島屋」という名前を付けたそうです。

加島屋と大同生命保険

ドラマは今後、あさと生命保険会社の関係が生じていくのではないでしょうか。江戸時代に加島屋があった場所は、現在の住所は「大阪市西区江戸堀1丁目2−1」となります。

北に土佐堀川を望む場所に、大同生命保険株式会社の本社ビルがそびえ立っています。地下鉄肥後橋駅すぐの場所です。北浜を中心とする大坂金融街の西端付近です。

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建て替える前の本社ビルは、主に関西で数多くの建築物を残しているヴォーリズの建築でした。低層階部分を中心に、当時の外観や雰囲気等を再現・移築しています。なお、広岡浅子とヴォーリズは後に縁戚関係となります。

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(1階ギャラリー部分です。社外向けの展示会等が行われており、誰でも入れます。)

様々な経緯を経た後、広岡家の当主は朝日生命(現在の朝日生命とは別会社)に社長に就任しました。明治35年には他の生命保険会社と合併して「大同生命」となり、初代社長に就任しています。

なお現在、大同生命保険本社ビルでは特別展示「大同生命の源流”加島屋と広岡浅子”」と開催しています。私も見に行き、貴重な資料を拝見しました(当記事でも引用・掲載しています)。また、特設サイト『大同生命の源流“加島屋と広岡浅子”』を開設されています。当記事の掲載内容よりも、上記サイトの方が細かく記されています。

 参考

特別展示「大同生命の源流”加島屋と広岡浅子”」
淀川右岸を散歩して2 「歴史散歩」の記録