混んでない時間・寺社じゃダメなの?
どうしてもベビーカーを利用しなければならないのであれば答えは一つです。「混んでいない時間帯・寺社へ出かける」です。
例えば多くの参拝者が訪れる有名寺社と比べて、近所にある氏神さん・村のお寺はさほど混んでいないでしょう。仮に混んでいたとしても、勝手を知っていれば安全な場所へ待避できます。
また、新年を迎えた直後や1日の日中は混み合いそうですが、2日以降は徐々に緩和するでしょう。1日に初詣へ出かけるのでは無く、2日以降に出かけるのも一つの方法です。
ちなみに我が家では、1日午後に近所の氏神さんへ参拝しました。境内は閑散としており、何ら危険を感じませんでした。
自粛要請=不寛容な社会???
一方、自粛要請等に対して批判的な意見もあります。
「混雑時のベビーカーは自粛すべきだ」という意見を耳にするたび、車椅子も同じように思われているのだろうと肩身の狭さを感じる。不寛容な社会になればなるほど、「生きづらさ」を感じる人が多くなっていく。誰かを排除することは、「次に排除されるのは自分かもしれない」というリスクと表裏一体。 https://t.co/F3oYYpOomA
— 乙武洋匡 (@h_ototake) January 4, 2017
ブログ更新:「初詣ベビーカー論争」に感じる、相変わらず少子化一直線な社会の不寛容さについてhttps://t.co/2cRSuMneJV
「子どもを産んだら、しばらくは○○くらい我慢しろ」と、産前に行えていた行動が平然と制限される社会で、積極的に子育てしたいと思うのでしょうか…
— おときた駿(日本維新の会 政調会長・衆議院東京1区支部長) (@otokita) January 3, 2017
両者とも有名人です。しかし、初詣時のベビーカー自粛要請が「不寛容な社会」「我慢の強制」へ繋がるのは、やや飛躍した議論だと感じます。
では、初詣でのベビーカー使用を全面的に認め、最大限の配慮を図るべきでしょうか。答えは「否」です。初詣は日常生活ではなく、一定の期間が確保されている特殊な行事だからです。
普段の生活では子育て世帯・ベビーカー利用者はもとより、いわゆる社会的弱者に対して様々な配慮がされています。電車等での優先席・エレベーターの優先利用・様々な箇所へのスロープ設置は一例です。可能な限り日常生活を無理なく過ごす為の措置です。
一方、初詣は日常生活ではありません。狭い境内に多くの人が集まるので、社会的弱者に配慮するのも限界があります。
また、例えば花火の様に特定の時間にしか行わなわれないイベントであれば、ベビーカー等の利用者に何らの配慮が要請されます。配慮が無ければ、結果的にイベントから排除されてしまいます。
しかし、初詣は特定の時間・場所に限定されません。正月の混んでいる時間等を避けられます。社会的弱者であっても、いわゆる代替手段によって目標を達成できます。
寛容な社会は誰しもが望むでしょう。ただ、寛容さに限界があります。避けても別の方法で実現できるのであれば、ベビーカーを押して厳しい状況に飛び込む必要性もないでしょう。
自粛要請は子育て世帯の行動を一定程度制限するのは事実でしょう。されど、寺社に求められる対応策の困難さ・ベビーカーへの危険性・他の時間等でも初詣は可能という性質を鑑みると、この程度の制限・自粛要請は受け入れるべきです。