東日本大震災から10年が経ちました。

地震発生当時は関西のとある街中にいて、地面が揺れたのには全く気づきませんでした。たまたまWebニュースを見て、東北で甚大な地震が発生したと把握したのを覚えています。

地震や津波によって、数多くの学校・幼稚園・保育所等が被害を受けました。上手く避難して関係者全員が助かった施設が多い反面、一部施設では避難中等に巻き込まれて多数の犠牲者が発生してしまいました。

備忘録も兼ねて、学校・幼稚園・保育所等の被害・避難状況等を集約しました。

石巻市立大川小学校(死亡・行方不明84人)

東日本大震災にて被災した学校において、最も多くの児童生徒や教職員が亡くなりました。校庭にいた児童78名中74名と教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡・行方不明となりました。


児童の命を守る 大川小が伝えるもの
https://www9.nhk.or.jp/archives/311shogen/summary/evi/31/

児童の一部遺族が石巻市・宮城県を訴えた民事訴訟は、最高裁にて原告勝訴が確定しています。

石巻市立大川小学校国家賠償等請求事件に係る最高裁判所の決定
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/735/087735_hanrei.pdf

「大川小学校」の訴訟に挑んだ2人の弁護士――判決後も原告遺族と向き合う理由 【#あれから私は】
https://creators.yahoo.co.jp/teradakazuhiro/0200093049

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石巻市立門脇小学校(全員避難)

津波火災によって全焼しました。が、児童や教職員は避難訓練を重ねていた日和山へ避難して無事でした。


私立日和幼稚園(石巻市、園児5人・職員1人が死亡)

日和山の中腹にある幼稚園は津波被害に遭いませんでしたが、園児を自宅へ送り届けようとしたバスが途中で津波や火災に巻き込まれました。

愛娘、抱いたら崩れた バスに乗り込む娘のビデオにたまらず「乗っちゃ駄目」
https://www.sankei.com/affairs/news/170906/afr1709060005-n1.html

日和幼稚園送迎バスの悲劇・石巻市門脇町
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_hiyori.html

名取市立閖上保育所(全員避難)

津波によって全壊しましたが、避難先の閖上小学校へ津波到達30分前に全員が無事に避難しました。発災前に避難先を選定し直し、職員私有車による避難を共通認識としていました。

「責任はとる、行って!」 子ども54人守った保育所長
https://digital.asahi.com/articles/ASM436SC6M43UNHB00Z.html

【あの日から7年】大津波から子供を守った”奇跡の保育所長” 「美談」の裏で抱えた苦悩
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/etuko-satake

保育所における保育士の意思決定――宮城県名取市閖上保育所の東日本大震災避難事例に学ぶ
https://serve.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=856&file_id=22&file_no=1

私立みなと保育園(相馬市、全員避難)

太平洋近くの高台にある保育園です。

津波到来までに大半の園児が帰宅しましたが、園児40人・教職員・近隣住民等の計100人がハシゴを使って屋上へ避難しました。

津波は園門直下まで押し寄せました。波が引いた後に全員が公民館へ2次避難しました。

植樹地:福島県相馬市みなと保育園の子供たち
http://sakuranamiki.jpn.org/archives/8784.html

陸前高田市立気仙小学校(全員避難)

発災直後に運動場へ避難しましたが、出先から戻った校長の咄嗟の指示によって裏山へ避難しました。校舎は3階まで水没して全壊しました。

【減災新聞】瞬時の判断「山へ登れ」 津波当時の校長回想
https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-148962.html

山元町立中浜小学校(全員避難)

海近くにある小学校です。

避難計画は小走りで20分かかる中学校へ避難する内容でしたが、避難中に津波に巻き込まれる恐れがあると咄嗟に判断し、屋上への垂直避難を決定しました。

津波は屋上直下まで押し寄せましたが、すんでの所で助かりました。

震災を乗り越えて
https://www.nier.go.jp/06_jigyou/kyouiku_sympo_h23/5_siryou.pdf

私立大槌保育園(大槌町、在園者は全員避難したが保護者引渡済の園児9人死亡・不明)

津波避難場所と決めていたコンビニ駐車場(園から150メートル)へ全員が移動し、迎えに来た一部保護者へ園児を引き渡しました。

その後、接近するする津波に気づき、急斜面の山を駆け上って避難しました。山頂から水没したコンビニや園舎が確認できました。

震災から3日後、預かっていた園児全員を保護者へ引き渡す事が出来ました。

しかし数日後、震災当日に保護者へ引き渡した園児一部の行方が分からず、最終的には園児9人の死亡・行方不明が確認されました。

3.11の記憶〜こどもたちとすごした日々〜
大槌保育園園長八木沢弓美子
https://www.fesco.or.jp/winner/h24/026.php

園児を親元へ、「その後」は誰も考えていなかった…引き渡し直後に津波[記憶]

https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210226-OYT1T50274/

私立ふじ幼稚園(山元町、園児8人・職員1人死亡)

園児を幼稚園バスに乗車させて帰宅させる準備をしている最中、津波に襲われました。バスに乗車していた園児8人・職員1人が死亡しました。

ふじ幼稚園バスの悲劇◆宮城県・山元町
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_fuji-yochien.html

山元町立東保育園(園児3人死亡)

山元町役場総務課長の指示によって園庭にて待機していた最中に津波が押し寄せ、園職員が運転する自動車で避難中に津波に巻き込まれた園児3人が死亡しました。

3人の遺族の内、1人がADRで和解、1人が仙台高裁で和解、もう1人は最高裁で敗訴しました。いずれも町や保育園の過失責任を否定しています。

仙台地裁判決文(仙台高裁・最高裁でも支持)
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/106/084106_hanrei.pdf

山元町・東保育園で園児死亡 訴訟へ
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_yamamoto_hoikuen.html

参考:事例集

東日本大震災被災保育所の対応に学ぶ」~子どもたちを災害から守るための対応事例集~
http://www.zenhokyo.gr.jp/cyousa/h25_03/130321saigai.pdf

避難場所・訓練・判断の重要性、責任者不在も想定を

これらの事例から浮かび上がってくるのは「避難場所・避難訓練・避難判断の重要性」です。

まずは避難場所の選定です。大半の小学校等は地区の避難所に指定されていますが、避難所からの避難先まで決めている施設は決して多くないでしょう。

全員が無事に避難できた施設の多くは、発災前から避難先を選定していました。震災直後に避難先を考えるのでなく、以前から避難先を頭に叩き込んでいました。

頭にある避難先を身体にも思い込ませるのが避難訓練でしょう。訓練によって避難先や団体行動時の問題点を洗い出し、改善する事が出来ます。

避難訓練によって「移動するのに時間が掛かり過ぎる」と気づき、閖上保育所は避難場所や移動手段を見直しました。

当初の計画通りに近所のアパートへ徒歩で避難していたら、きっと全員が津波に巻き込まれていたでしょう。

避難場所や訓練を積み重ねていても、避難するという判断が出来なければ水の泡と化してしまいます。多くの施設では校園長の判断によって避難しました。

しかし、発災時に常に校園長が施設内に滞在しているわけではありません。

気仙小学校は校長が戻るまでは校庭に待機していました。この間に津波に襲われいたら、大川小学校と同様の被害が発生していたでしょう。

校長が遠方へ出張していた大川小学校では、複数の教職員や地域住民が長時間に渡って避難先を相談し、北上川の近くへ避難しようとして津波に巻き込まれました。

お世話になっている学校や保育所では、避難訓練は常に校園長が指揮を執っています。時には校園長の不在を想定し、教頭先生や主任保育士等が避難訓練を主催するべきでしょう。一歩引いた立場から校園長が観察し、客観的に指摘できると良いですね。

保護者が迎えに行くべきか?

(追記します)

災害はいつやってくるか分かりません。各家庭でも避難先の検討や避難物資の準備を行う様にして下さい。