(9/11追記)
船戸優里被告の懲役8年が確定しました。
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船戸結愛(ゆあ)ちゃん(5歳)虐待死事件、悲惨な内容が日々報じられています。両親(特に血縁関係が無い父親)による虐待には戦慄を覚えます。
一方、虐待に至った経緯や背景、児童相談所等の関係機関の行動を整理する必要があるでしょう。そこで、新聞やウェブメディア(ハフィントンポスト等)で報じられている内容を時系列で整理してみます。
※関連投稿は「検索:【目黒虐待死】」からご覧下さい。
日付 | 出来事 |
2012年2-3月? | 結愛ちゃん誕生 |
2015年頃 | 優里容疑者が前夫と離婚 |
16/4頃 | 雄大容疑者が三豊市のの冷凍食品会社で働き始めた。同時期に雄大被告と優里被告が結婚。2人は職場の同僚だった。 |
8/25 | 近所の人が「子どもの泣き声がひどい」と児相に通報した。 |
16/9上旬 | 弟誕生。結愛ちゃんへの説教が酷くなった。 |
16/11 | 雄大被告が結愛ちゃんのお腹を蹴った。 |
12/25 | 結愛ちゃんが一人で外に出されているところを近隣住民が目撃、『パパ怖い、帰りたくない』 香川県西部子ども相談センター(香川児相)が一時保護。医師が「下唇が切れ、まぶたの上にはたんこぶがあった」「日常的な虐待の傾向がある」と診断。結愛ちゃんが医師に「パパにお腹をキックされた」と話す。 優里被告は「自分も保護されたかった」と感じていた。 |
17/1/29 | 親子面談。結愛ちゃんは「気持ちを口でうまく言えない」と言った。雄大容疑者は「悪かった」「もうしない。できるだけ優しくするから、いい子にしててくれ」と謝った。結愛ちゃんは両親を「バイバイ」と見送った。 |
2/1 | 一時保護が解除された。 |
2月 | 雄大容疑者を傷害容疑で書類送検、不起訴処分 |
2/23 | 児相が幼稚園から「元気で変わりないが、食べすぎる傾向があった」と聞き取り。 |
3/19 | 一人で外にいた結愛ちゃんを警官が保護。 受診時に舌が切れて唇に赤い傷があり、両膝には擦り傷、お腹には5cm程度のアザがあった。結愛ちゃんは「お父さんに叩かれた」と訴えた。 だが、両親は「一緒に遊んでいて、私だけちょっと家に戻っていただけだった」「転んだだけ」「叩いたわけでない」と否定。 2回目の一時保護が決定。 |
3月末 | 幼稚園を退園 |
5月頃 | 雄大容疑者を傷害容疑で書類送検、不起訴処分 |
7/31 | 指導措置付きで保護を解除 |
8月 | 優里被告が通院し初め、医師へ過食嘔吐等を伝えた。 |
8/30 | 医療センター職員が「こめかみにアザがあり、太ももにもアザがある」と気づく。結愛ちゃんは「お父さんが叩いた」と訴えた。 児相は一時保護・分離を検討したが、親子に寄り添う事が安全だと判断、医療センターなどを通じて継続して見守る事に決めた。 |
9/8 | 児相が家庭訪問。結愛ちゃんにアザは見られなかった。 |
9/13 | 太ももにアザがあった。が結愛ちゃんは「父親に殴られた」と言わなかった。 幼稚園を通じての動静確認が困難になったので、警察署・病院・市の子ども課と連携をし、定期的に様子を直接確認できるように体制を強化した。 |
10/23 | 家庭訪問。ニコニコと笑顔を見せて会話をした。 |
10/30 | 家庭訪問。「どうぞ」と元気よく玄関を開け、職員を迎え入れた。 優里容疑者が東京への転居を表明。転居でケアが途切れることを恐れた児相職員は「社会的なつながりが途絶えてしまう」と懸念し、幼稚園や保育園に入るよう強く勧めた。 |
11月末 | 家庭訪問。少し陰った表情をしていた。 |
12/11 | 雄大容疑者が東京へ転居。 帝京大学に通っていたので、知人の多い東京に引っ越したが、仕事が見つからず孤立 |
18/1/4 | 検診、体重が16kgを超えた(概ね標準体重)。けがもなく、健康的な生活ができていた。 所内協議で「親子としての改善ができてきた」「指導ではなく、ケアや支援が必要なケースだった」とし、指導措置を解除した。 |
1/17 | 優里容疑者が結愛ちゃんと弟を連れてへ転居。児相には転居先を頑なに伝えなかった。 |
1/18 | 児相が転居先を善通寺市へ照会した。 |
1/23 | 転居先が判明、品川児童相談所へ連絡をした。 |
1/29 | 「緊急性の高い案件」として、品川児相へケース移管した。香川県担当者は「すぐに本人に会って確認をしてほしい。指導措置は1月4日に解除されたが、指導を積極的に続けてほしい」と伝え、全記録を送付した。 品川児相で緊急受理会議、「転居で環境も変化している。対応は考える」としてケース移管を受理した。 |
1/30? | 目黒区と品川児相が協議、目黒区による訪問を品川児相が拒否 |
2/2 | 雄大被告が結愛ちゃんをトイレで暴行。目の周りが腫れた。 |
2月頭頃 | 品川児相から香川児相へ「ケース移管でしたか?情報提供でしたか?」と2度問い合わせ(すれ違い?)。香川児相は「ケース移管、緊急性が高い。早く会って本人確認を」と伝える。 |
2/5-6 | 香川児相が優里容疑者へ電話したが出なかった。 |
2/7 | 香川児相が雄大容疑者へ電話。品川児相に引き続きケアをお願いしている旨を伝えると、「それはなんなんだ。強制なのか?任意なのか?」「児相職員が訪ねてくると、周りから変な目で見られるので嫌だ」と憤りを見せた。「香川児相もまだ関りを持たせてもらいます」と伝え、品川児相を紹介した。 |
2/8 | 結愛ちゃんがノートに「きのうパパにおこられたこと おふろもいやっていった パパにべんきょうをおしえてもらったのに おれいをいわなかった とけいができるはずなのに とけいをごまかそうとしたから べらんだでたたされた」と書き残す。 |
2/9 | 品川児相が家庭訪問(事前連絡無し)したが、結愛ちゃんに会えなかった。優里容疑者は「香川児相に家庭を無茶苦茶にされた。結愛に合わせたくない。出掛けている。」と答えた。 |
2/13 | 香川児相が品川児相へ確認の連絡。品川児相は「信頼を築くには時間がかかる。警戒された。」と返答。 香川児相は「少なくとも週に1~2回は本人に会えていたので、心配である」、香川医療センターも「母親と連絡が取れない」と心配し、品川児相に資料提供を申し出た。 |
2月中旬? | 優里容疑者が雄大容疑者へ「児童相談所にマークされている、結愛が悪いのに 笑」とLINEで伝えた。 |
2月中旬 | 結愛ちゃんは弟の(1歳半?)健診に同行せず。幼稚園や保育園へ入園した形跡も無い。 |
2月中旬? | 朝4時に起きて起きてひらがなの書き取りをするよう命じられた。部屋に電灯がなく、寒く暗い中で勉強していた。 ノートに「きょうよりかあしたはできるようにするから ゆるしてください」などと書き残していた。 |
2/20 | 入学する予定だった目黒区立東根小学校の説明会に来なかった。目黒区職員が声かけしたところ、優里容疑者は「うちにいますよ」とだけ答えた。 |
2月下旬? | 「小学校の入学に向けた勉強を先にやれと言ったら、“はい”と言ったのに、昼ごろに部屋を確認したら寝ていたのでかちんときた」と、雄大容疑者が暴行した |
2/25? | 雄大被告が結愛ちゃんを風呂で水シャワーを掛け、何度も殴打した。 |
2/26? | 結愛ちゃんの目が腫れ上がり、アザもあった。急激に体調が悪化し始めた。 |
2/27 | 最後の日記。かけ算の九九を練習した形跡があった。 |
2/27 | 衰弱して嘔吐を繰り返すようになった。が、虐待の発覚を恐れて病院を受診させることをせずに放置した。 自力で歩けないほどに衰弱し、弟(1歳)のオムツを履かされていた。 食事をのみ込めなくなるほど衰弱し、「もうご飯を食べられない」と話した。 |
2/28 | 体温は37.1度。まだ1人で着替え・トイレへ行けた。 |
3/1 | 嘔吐が止まらない・会話はできたが、壁に手を伝って歩いた。久しぶりに入浴させたが、目を背けたくなるほどに痩せこけていて、すぐにタオルを巻いた。 |
3/2 | 午後から優里容疑者・結愛ちゃんがパソコンでアニメを見るなどして過ごした。午後4時頃に歩行困難となり、手を引いてトイレへ連れて行った。午後5時過ぎには元気が更になくなり、嘔吐・腹痛を訴えた。 結愛ちゃんの心臓が止まったのを優里被告が確認、雄大容疑者に告げると「頭が真っ白になった」。 午後6時頃、雄大容疑者が「数日前から食事を取らず嘔吐し、心臓が止まっているようだ」と119番。午後6時59分に結愛ちゃんの死亡を確認。死因は肺炎による敗血症。 同年代の平均の約20キロを下回る12.2]キロだった。「胸腺」という免疫に関する臓器が萎縮し、重さが同年代の平均の約5分の1になっていた。 あばらが浮き出て、全身に約170か所ものキズがあった。 消防士曰く「あばら骨が浮き出ている、オムツをはいていた」と。 |
3/3 | 父親で無職の船戸雄大容疑者(33)を傷害容疑で逮捕 |
5-6月頃 | 通常は刑事裁判が行われるが、未だ行われていない? |
6/6 | 父親の船戸雄大容疑者と母親の優里容疑者(25)を保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕 |
6月上旬 | 事件以後、毎日50件程のクレーム電話がある。長い方で2時間超にも及び、その対応に追われて、ケースワークができない。 香川児童は精神疾患で1名が昨年辞職した。昨年度に3名増員したが、全員新卒で即戦力とは言い難い。 |
6月27日 | 両親を保護責任者遺棄致死容疑で起訴 |
7月11日 | 船戸雄大容疑者を大麻取締法違反(所持)容疑で追送検 |
9月3日 | 船戸優里被告の初公判が開催。「起訴内容は概ね認める」「夫から娘への暴力は知らなかった」「夫から心理的DV」等と証言・主張、ひきつけや嗚咽を零す場面も。部屋にはランドセルがあった。 |
9月5日 | 優里被告の被告人質問。「謝りたい」と話す。 |
9/9 | 検察は「懲役11年」を求刑 |
9/17 | 東京地裁は「懲役8年」を言い渡した |
9/30 | 優里被告の弁護人が控訴 |
2019年10月1日 | 船戸雄大被告の初公判。起訴事実を概ね認める。 |
10/3 | 雄大被告の公判に優里被告が証人として出廷(遮蔽措置)。「最初は仲良かったが、徐々に厳しくなった。ボールの様に蹴った。もう近づかないで欲しい。」と証言。 |
10/4 | 雄大被告の被告人質問。「しつけがうまくいかず、怒りが強くなって暴力をするようになった」と。 |
10/7 | 検察が懲役18年を求刑 |
10/15 | 雄大被告に東京地裁は「懲役13年」を言い渡した |
10/30 | 雄大被告の判決が確定 |
2020/9/8 | 東京高裁が優里被告の控訴棄却 |
9/11 | 双方が控訴権を放棄し、優里被告の懲役8年が確定した。 |
香川時代は児相や幼稚園が細かく対応、逃げる様に退園&上京?
結愛ちゃんは香川県在住時にも虐待に合い、2度も一時保護を受けました。
当時は幼稚園へ登園し、かつ香川県西部子ども相談センター(香川児相)が細かく様子を確認していました。仮に何らかの問題が起きれば、即座に気づいて厳しい対応を行い得る体制でした。
この様な厳しい体制を両親も気づいていたのでしょうか。しかし、香川児相等の目から逃れるかの様に、2度目の一時保護解除後に幼稚園を退園、そして東京へ転居してしまいました。
品川児童相談所の対応があまり報じられていない
ハフィントンポストの報道により、香川児相の一連の対応は事細かに報じられました。
一方、品川児童相談所(品川児相)の対応はあまり報じられていません。香川児相への取材を通じて報じられた以外は、「香川からの引き継ぎで虐待があるという認識はあった。ただ早急な対応を取らなければならないという判断がつかず、今回のようなことになるとは予測できなかった」というコメント(abemaプライム)のみです。
品川児相の対応に問題があったのではないか、という指摘も相次いでいます(一方的な言い分も含む)。何らかの形で品川児相が一連の対応を調査・検証し、この様な事件が二度と起きない為にはどうすれば良いのかを考える必要があるでしょう。
寒空になると考える。寒くて苦しい思いをしている子供がいませんように。
ご飯を食べれていますように。親や周囲の人間に暴力を振るわれていませんように。
もし、そんな状況を見たり聞いたりしたら、恐れず通報する。それでダメなら、協力してくれる人を見つけて助け出す。
結愛ちゃんが亡くなって明日で4年になります。結愛ちゃんの苦しみが報われて、結愛ちゃんが天国でしあわせでいることをこころから祈っています。
刑務所では子ども虐待して捕まったやつは、かなりいじめられるって聞いたことある。
そのクソ親(親とか呼びたくもない)クソ男とクソ女がゆあちゃんよりむごい虐めにあっててくれ。と願うばかり。
ゆあちゃんは、天国で安らぎの中にいてほしい。
誰も助けてあげられなくてごめんね。
舟渡雄大 裁判 弁護士9年求刑 こいつら、頭おかしいのと、違う
私は、死刑でも、かるいと、思っている
日本の司法には、絶望する、
これからも、このような、事件なくならないと、思う
刑罰を重くしたら事件が減るとはおもわないが
抑止のめんでも、刑罰は重くするべき、
また、この事件、児童相談所の責任も、重い
裁判は(司法は)感情で行われるものでない。法論理や判例、社会通念等を総合考慮した上で裁判官の自由な心証によって判決が決まる。このコメントは法律や司法を全く理解していないと言わざるを得ない。感情でできる裁判なら司法試験はいらない。
同感です。
船戸雄大の一部一部の肉体を細かく傷つけていってギリギリまで生かしてから最後の最後まで激痛を加えながら生き地獄を60年間ぐらい与え続けて最後に顔と心臓だけしか残らないぐらいの残虐な殺し方をしてやらないと、この先同じような酷いことをしようという考えをもつ大人が出てくるわけです。
要は地獄を信じてない大人が犯罪を犯すわけで、地獄は現実に司法が見せて差し上げますといえれば良いわけです。
わかりやすく、ありがとうございました。経緯がよくわかりました。結愛ちゃんからのSOS、少なくても3~4回ありました。
1回目の保護から解除され1ヶ月で2回目の保護。この状態では、いくら言い訳をしても常習の虐待と見なします‼
結愛ちゃんは義父が怖いので、言うことを聞きます。聞かなければ、また叩かれるのです。それで結愛ちゃんが今まで出来なかった事は改善され、検察はこれをしつけと判断したのでしょう。
結愛ちゃんは、やがて死ぬだろうと判断はしていたでしょう。これは未必の故意の殺人ですが、小心者の義父は結愛ちゃんが息をしていない時にオロオロして救急車を呼んでいます。これで未必の故意の殺人では無くなってしまいました。
ダンボールに書かれた20項目。何を書かれたのか。詳しくはわからないですがこれもしつけの一貫と主張するでしょう。それでも傷害罪に保護責任者遺棄致死罪、これだけ世間の注目を集めたことから懲役30年は下されると思われます。
実母に関しては、5年~10年と思われます。
この事件は、3月2日に幼児虐待事件と簡単に報じられました。後、6月6日に警察から、結愛ちゃんの「パパ、ママゆるして」のノートを発表され、全国に知れわたり、大きなうねりとなって政治家等を動かしています。
ただ、もしノートがなかったら?今までの多くの虐待事件と同じように可哀想で終わっていたかもわかりません❗現に3月2日の時点では、マスメディアも大きく扱うこともなく社会も大きな関心を寄せてはいません。我々の反省はそこにあります。
でも、結愛ちゃんは人々の心を動かすメッセージを残してくれました。
「もう私みたいな子供を作らないで」 もしかしたら結愛ちゃんは、虐待を無くすために、この世に贈られてきた天使かも知れません。
よくそんな糞みたいな解釈ができるな
結愛ちゃんはただ単純に辛くて苦しくて虐待を辞めてほしかったと、親に愛してほしかったと普通考えるだろ
何がほかの子供がー、だよ
馬鹿みたいなこと言うなアホ